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みそまろコラム

2026.10.02 [みそまろコラム]

お味噌で旅する日本列島〜仙台編(後編)〜

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。さて、前編でご紹介した日本初のお味噌工場「御塩噌蔵(おえんそぐら)」から生まれ、戦の場でも「変質せず長持ち」するという驚異のクオリティと、圧倒的な「美味しさ」で江戸の市場をまたたく間に席巻した仙台味噌。

 

しかし、一大ヒットブランドとなり、莫大なお金が動くようになると、今度は地元の職人や商人たちの間で「持続していくためのルール作り」や、時代の変転に伴う様々な課題が巻き起こるようになります。

 

前編の華やかな大躍進の裏では、激動の時代を生き抜くための職人たちの組織づくりと、東北の厳しい現実を救った仙台味噌の知られざる感動のドラマがあったのです。

 

時代の波を乗りこなせ!職人たちが進化させた「味噌醤油仲間」と「仲間掟」

1601年の仙台城築城とともに、伊達政宗公は城下町を大々的に整備し、各地から商人や職人が集まってきました。 当時の仙台藩では、穀物、糀、絹布など特定商品の独占販売権が認められており、商人や職人たちは共同の利益を守るために「株仲間」という組織を作りました。

仙台藩のお味噌業界でも、元禄年間(1688〜1704年頃)にはすでに「味噌仲間(後に味噌醤油仲間)」が結成されていたことが当時の史料に残されています。最初は、メンバー同士の親睦や価格協定などを主な目的としてスタートした、のどかなものだったようです。

しかし、「仲間」は、一般の商人や職人らと同じ「町方(まちかた)」として扱われ、藩の司法や行政を担う町奉行所の厳しい支配を受けます。例えば、原材料の価格が高騰して味噌の値段を上げざるを得ない場合。勝手に値上げはできず、「こういう理由でいくら値上げしたい」という文書を町奉行所に提出し、厳しい審査を経てようやく許可されるという、現代の企業顔負けの厳格なシステムが作られていきました。

そのうち、仙台味噌の人気が全国区になり、経済情勢が目まぐるしく変化していくにつれて、組織のルールである「仲間掟(なかまおきて)」もどんどん厳しく変化していくことになります。

例えば1834年の「仲間掟」では、以下の規約が14条にわたって厳格に定められていました。簡単にまとめますと、こんな感じです。

  • 【加入の規約】 誰でも簡単に新店を出せるわけではなく、組合への加入ルールを厳格化。
  • 【品質の吟味】 仙台味噌のブランドを落とさないよう、品質チェックの規定を導入。
  • 【雇用の協定】 職人の引き抜きに関するトラブルを防ぐための雇用ルールを策定。

これらに違反した者への「罰則」までもが設けられるようになりました。ここには「みんなでルールを守り、高級ブランドとしての仙台味噌を守り抜こう!」という職人たちの熱いプライドと誠実さが詰まっています。

大豆を蒸し煮したあとに荒く砕いて粒味噌とする特徴を守り、じっくり時間をかけて塩をなじませる完熟製法を貫く――。 この職人たちの自立的なルール作りと、藩によるバックアップがあったからこそ、仙台味噌の圧倒的な品質は時代を超えて保たれ、その名声はさらに不動のものとなっていったんですね。

 

隣藩の大ピンチを救った、仙台藩の圧倒的な「備蓄力」と心意気

 

こうして地域一丸となってクオリティを守り抜いた仙台味噌ですが、この仙台藩に住まう人々の驚異的な「お味噌の備蓄量」と、それを惜しみなく差し出す懐の深い心意気が、のちに隣の藩の数万人もの命を救うという、歴史的な感動ドラマを生むことになります。

 

江戸時代、寒冷な東北地方は、たびたび深刻な天候不順による大凶作(飢饉)に見舞われました。ひとたび飢饉が起きると、町には餓死者が出たり、疫病が流行ったり、盗人が横行するなど、悲惨な社会現象が引き起こされてしまいます。特に、天保の大飢饉(1833年〜1839年)にて最も悲惨な大打撃を受けてしまったのが、お隣の南部藩(現在の岩手県中部〜北部、青森県東部など)でした。

 

1836年、あまりの飢えに耐えかねた南部藩の農民1,010人が、生きるためのお米とお味噌を求めて、集団で大規模な一揆を起こします。自分の藩にいくら訴えても救われないと悟った彼らは、命がけで国境を越え、仙台領の「相去(あいさり)村」へと押し入り、救済を訴え出たのです。

 

よその藩から千人もの一揆勢がなだれ込んできたのですから、普通なら武力で追い返されてもおかしくない大事件です。しかし、比較的秩序の取れた集団だったためか、仙台藩の対応は寛大でした。なんと彼らを数ヶ月にわたって、毎日2回の味噌汁ご飯を提供してその命を繋ぎとめたという記録が残っているのです。この時供与されたお味噌は、仙台藩が相去村の農家や地元の豪商から買い上げたものでした。

 

さらにドラマは続きます。それから17年後の1853年(嘉永6年)、今度は南部藩からなんと「1万余人」もの農民が一斉に国境を越え、仙台領へと逃げ込んできたのです。

 

実はこれ、飢饉ではなく、重税と藩の暴政に耐えかねて発生した「三閉伊一揆(さんへいいっき)」という日本最大級の百姓一揆でした。限界を迎えた農民たちは、困窮を意味する「小〇(おまる)」の旗を掲げて南下し、「自分たちを仙台藩の領民にしてほしい」と命がけの直訴に踏み切ったのです。

 

ちょうどペリーの黒船来航で日本中が騒然とする中、町が一つ消えるレベルの避難民を前に、仙台藩はどうしたのかというと…なんと、この時にも彼らを温かく受け入れたのです。そして、彼らを救うために緊急で用意した物資の量は、凄まじい規模でした。

 

史料に残された数字は、「玄米 277石余(約41.5トン)、味噌 1,110貫余(約4.16トン)」。

 

お味噌の量だけでいうと、なんとお味噌汁約27万7,500杯分! 避難してきた1万余人もの人々が、毎日欠かさず飲んだとしても、なんと約1ヶ月近く(約28日分)も賄えるという、とてつもない量です。仙台藩はこれほどの大量の物資を気仙郡の13の村々(お味噌はそのうち特定の8つの村)からから買い上げ、隣国の農民たちに惜しみなく振る舞いました。

 

この手厚いサポートを受けながら、農民たちは粘り強く交渉。幕府に大失態を知られたくない南部藩は、最終的に農民側の要求をほぼ丸呑みし、指導者も処分されないという、日本の農民運動史上きわめて珍しい「完全勝利」を収めました。

 

歴史に名を残す民衆の勝利の裏には、大混乱の中でこれだけの備蓄を即座に動かした仙台藩の圧倒的な経済力と、「困った時はお互い様だ」という懐の深い人情の力があったのですね。

 

「お味噌は生命の糧」家庭に根付いた究極の命の防衛策

 

なぜ、仙台藩にはこれほどまでに大量のお米や、人助けできる量のお味噌がストックされていたのでしょうか?その最大の要因は、度重なる飢饉の教訓から生まれた、官民一体の「備蓄システム」にありました。

 

天明の大飢饉(1782年〜1787年)以降、食糧貯蔵の重要性を思い知った仙台藩は、各村々に「備荒倉(びこうそう)」という、万が一の凶作に備えるための公的な防衛倉庫を設置し、米や麦、大豆を厳重に貯蔵させました。

 

さらに素晴らしいのは、藩だけでなく、一般の家庭にいたるまでその意識が徹底的に染み込んでいたことです。仙台の町家や農家では、お米や雑穀の貯蔵はもちろんのこと、どの家でも「数年分のお味噌」を常に準備しておくことが当たり前になっていました。

 

当時、仙台地方では「味噌も満足に造れないようでは、家運が傾いた証拠」とまで言われていたそうです。つまり、お味噌をたっぷり仕込んで蓄えておくことこそが、家のステータスであり、何があっても生き残るための最大の財産だったのです。お米と並び、お味噌は文字通り、人々の「生命の糧」そのものでした。

 

伊達政宗公の壮大な野心とおもてなしの心から始まり、職人たちのプライドによって経済の荒波を乗り越えるブランドへと磨き上げられ、やがては飢えに苦しむ数万人もの命を救う最強のお守りとなった仙台味噌。

 

1日中食べなくても飢えを感じさせず、体を芯から守り抜く「サバイバル食品」としてのお味噌の計り知れないパワーは、ストレスや忙しさにさらされながら現代を生きる私たちの心と体を整える力にも、そのまま真っ直ぐに通じる気がします。

 

遥か江戸時代の、仙台の人々の温かい心意気と歴史に思いを馳せながら、今日も温かい一杯のお味噌汁で、お腹の中からほっこりと自分自身を労ってくださいね。

※女将へのお土産は創業安政元年から本場仙台味噌を作り続ける
 株式会社佐々重さんの「本場仙台味噌(粒)」にしました!

 1854年創業ということは、172年も続けておられる会社さんです。

 「ごえんそ味噌(荒漉)」という商品もあり、こちらは
 御塩噌蔵で仕込まれた味噌と同じ仕込みをした味噌だとか。

 これもいつか食べてみたいものです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 また次のお椀の旅でお会いしましょう。

 

参考図書:

味噌大全 監修渡辺敦光 東京堂出版

みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所

2026.08.07 [みそまろコラム]

お味噌で旅する日本列島〜仙台編(前編)〜

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

日本各地に息づくお味噌の歴史や、その土地ならではの文化をめぐる「お味噌で旅する日本列島」シリーズ。北海道編、津軽編に続く第3弾の舞台は、歴史とロマンが今なお色濃く残る東北の雄、宮城県は仙台です!

 

現代でも「仙台味噌」といえば、風味豊かな赤味噌の代表格として全国の食卓で愛されています。すっきりとした塩味の中に、じっくり熟成された奥深いコクと香りが広がる仙台味噌。実はこのお味噌のルーツを深くたどっていくと、あの誰もが知る超有名戦国大名、伊達政宗公の壮大な天下取りの野心と、驚くべき「お味噌へのこだわり」に突き当たるのです。

 

今回は、知れば知るほど面白い仙台味噌の誕生秘話から、全国を席巻するまでの大躍進の歴史を、前編・後編にわたって大ボリュームでじっくりと紐解いていきたいと思います。

 

戦国武将にとって、お味噌は「命がけ」の最強サバイバル食品だった!?

 

今でこそ、日々の健康や美容などのために親しまれているお味噌ですが、戦国時代の武士たちにとっては、単なる調味料ではありませんでした。それは自軍の強さを左右し、兵士たちの生死を分ける「命がけの兵糧(ひょうろう)」、つまり最強のサバイバル食品だったって、ご存知ですか?

 

当時の戦場においていかにお味噌が重要だったかを伝える、こんな書物が残されています。『前橋旧蔵聞書(まえばしきゅうぞうききがき)』という史料の一節です。

 

「焼き味噌を湯に立てて呑候へば、終日食物仕らず候ても少しも飢へざるものに候」

「味噌は息合に能く候」

 

これを現代の言葉に分かりやすく読み解くと、「焼き味噌をお湯にサッと溶かして飲めば、丸一日まともな食事をしなくても、少しも飢えを感じることがない」「激しい戦いによる息切れや疲労の回復にも、抜群に良いものである」という意味になるそうで。

 

果てしない行軍や命がけの戦が続く場において、手軽に塩分と良質なタンパク質を補給でき、体を芯から温めて体力を急速に回復させてくれるお味噌は、まさに現代でいう「高機能エナジードリンク」のような存在だったのでしょう。お味噌をどれだけ上質に、大量に用意できるかが、軍隊の強さに直結していた時代だったというわけです。

 

出兵先でも変質しない!驚きの品質が証明された瞬間

 

そんなお味噌の圧倒的な重要性を見抜いていたのが、仙台藩の初代藩主である伊達政宗です。政宗公といえば、武芸や学問はもちろん、和歌や漢詩といった文芸にも一流の見識を持っていた、いわばハイパーマルチクリエイター。さらに、自ら厨房に立って包丁を握り、おもてなしのメニューを自ら考案するほどの、歴史上きっての「超がつく食通」でもあったそうです。かっこよすぎませんか。

 

その仙台のお味噌の実力が明らかになったのは、1593年(政宗公満26歳)の豊臣秀吉による朝鮮半島への出兵(文禄の役)でした。

 

日本各地から集まった諸大名たちは、兵糧としてそれぞれ地元のお味噌を携えて海を渡りました。しかし、戦地は過酷な夏の炎天下。他藩のお味噌は次々と腐敗してしまい、使い物にならなくなってしまったのです。

 

ところが、伊達家が携行したお味噌だけは、夏の暑さの中でも一切変質せず、美味しさをそのままキープしていたのです!これには周囲の武将たちもおおいに驚きました。瞬く間に大評判になり、他藩の武将たちから「そのお味噌を分けてくれ」と請われるほどだったそうです。

 

この戦場での評判こそが、のちに誕生する「仙台味噌」という一大ブランドの、偉大なる最初の一歩となりました。この出来事を経て、政宗公のお味噌への情熱はさらに加速していくことになるのです。

 

 

天下を狙う希代の野心家・伊達政宗が作った「お味噌ファクトリー」

 

政宗公といえば、豊臣政権下ではきらびやかな衣装で度肝を抜く外交を繰り広げ、徳川の世になっても決して天下取りの野心を諦めなかった、スケールの大きな男であったことは多くの方がご存知かと思います。お洒落な男性を指す「伊達男」という言葉も、彼の粋で華やかなファッションや自己プロデュース能力が語源となっていますよね。

 

そんな彼の町づくりは、1601年(満34歳)、それまでは東北地方の小さな村にすぎなかった「千代(せんだい)」の地を選び、青葉山に城を築いて「仙台」と改名したところから始まります。「仙人が住む郷のように理想的で、千代に八千代に栄え続ける都にする」という、彼のビジョンが込められた地名です。ここから壮大な町づくりが始まりました。政宗公のリーダーシップにより、各地から商人や職人が集まり、仙台は東北最大級の華やかな城下町へと急成長を遂げています。

 

この町づくりの一環として、万が一の籠城戦(お城に立てこもる戦い)に備え、政宗公はお味噌の備蓄と量産のために並々ならぬ情熱を注ぎます。仙台城下に「御塩噌蔵(おえんそぐら)」と呼ばれる、日本で最初のお味噌専用の醸造所を建てたのです。

 

お味噌は精進料理の一貫としてお寺で作るのが一般的で、まだまだ「自家製味噌」が少なかった時代に、藩の公認組織として生産するシステムを作ったこの試みは、現代の食品工場の先駆けとも言える画期的なことでした。ただしそこで作られるお味噌は「御用味噌」と呼ばれ、あくまでも城内で消費され、備蓄されるものだったようです。

 

江戸の町を虜にした、こだわりの仙台味噌

 

1600年(満33歳)に天下分け目の戦いと呼ばれる「関ヶ原の戦い」にて徳川軍が勝利をおさめ、1603年に徳川幕府が開かれます。諸大名が軍資金を貯めないように、また忠誠心を持たせるようにするための「参勤交代」が有名ですが、実は豊臣政権のころから、政宗公は誰よりも早く、自発的に江戸へと参勤していました。豊臣秀吉の死後、次の覇者となる徳川家康に急接近し、伊達家を生き残らせるため、そしてのちの徳川幕府に対して「私は絶対に裏切りませんよ」という忠誠心をアピールするためです。

 

仙台藩の公式記録『伊達治家記録(だてじけきろく)』などから推定すると、なんと少なくとも1,500人〜2,000人以上という、他を圧倒する大軍勢を引き連れて江戸に入り、早くから江戸に屋敷(藩邸)を構えていました。

 

そんな大集団の食事を満足いくものにするため、江戸の藩邸でも故郷の味を再現しようと、早くからお味噌の自家醸造を行っていたようです。原料の米や大豆, 塩, 麹にいたるまで、すべて海路で仙台から江戸へと移入していたというから、驚きのこだわりですよね。

 

やがて1635年(満68歳)に「武家諸法度」によって参勤交代が正式に義務化されると、江戸の藩邸に常駐する藩士たちの数は一気に3,000人〜4,000人規模へと膨れ上がります。これだけの大所帯の胃袋を支えるため、藩邸内にはさらに規模の大きなお味噌専用の「御塩噌蔵」が建てられることになりました。

 

この藩邸内で造られる「仙台味噌」は、やがて屋敷に出入りする商人や他藩の大名たちの間で「伊達殿のところの味噌は格別にうまい」と噂になったのか、少しずつ江戸の町で評判を呼ぶようになっていきます。

 

このじわじわと高まる人気を受け、2代藩主・伊達忠宗の代になると、ついに江戸の民間へ払い下げ(販売)することを決めます。江戸の市場になだれ込んだ仙台味噌は、あっという間に江戸っ子たちを虜にし、またたく間に大量流通する大ヒットブランドへと成長しました。このお味噌の売上は、仙台藩の財政を大きく潤す重要な一大ビジネスとなったのです。

 

実は、この時にお味噌が造られていた仙台藩の下屋敷跡(現在の東京都品川区東大井)には、その歴史を今に伝える場所があります。屋敷内の味噌蔵の跡地を引き継ぎ、現在も同じ場所で営業を続けている「仙台味噌醸造所」です。ここでは、政宗公がこだわり抜いた極上の味わいが、400年近く経った令和の今もなお、息づき、愛され続けているのです。

 

小さな村のサバイバル食品から始まり、政宗公のこだわりによって日本初の工場生産システムを経て、ついに大都市・江戸を席巻した仙台味噌。

 

しかし、お味噌が一大ブランドとして売れまくり、大きな経済の波が生まれると、今度は地元の職人や商人たちの間でも「持続していくためのルール作り」や、時代の変転に伴う様々な課題が巻き起こるようになります。さらに、その裏には東北の厳しい現実も待ち受けていました。

 

そんな仙台味噌を取り巻く次なる波乱のストーリーは、続く「後編」でたっぷりとお届けします。どうぞお楽しみに!

 

参考図書:

味噌大全 監修渡辺敦光 東京堂出版

みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所

2026.06.05 [みそまろコラム]

お味噌で旅する日本列島〜津軽編〜

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

「お味噌で旅する日本列島」、前回の北海道編に続き今回は津軽海峡を挟んで、青森県の「津軽」へとお連れいたします。

 

実は、北海道の開拓を支えたのは「津軽のお味噌」だったという深い絆があるんですよ。それでは、津軽味噌の物語を紐解いていきましょう!

 

 

■日本のお味噌のふるさと?悠久のロマン

 

津軽地方とお味噌の関わりは、驚くほど古くまで遡ります。

青森県つがる市にある世界的に有名な「亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)」からは、当時すでに農耕が行われていた形跡が見つかっています。「お味噌の原型のようなものが作られていたのでは?」という説もあり、ここ津軽こそが「日本の味噌のふるさと」ではないか、なんて考え方もあるほどなんです。

 

そもそも古代日本では、味噌は高級品で、宮中の「大膳職(だいぜんしき)」という役所で作られていた、貴族や役人のための贅沢品でした。当時は「未醤(みしょう)」という味噌の前身でして、薬として使われたり、食べ物に直接つけて食べたりしていたそうです。

津軽味噌がいつから家庭で作られ始めたのか、公的な記録こそ残っていませんが、そのルーツを物語る興味深いエピソードがあります。

 

奈良時代、朝廷の命を受けた坂上田村麻呂が東北遠征の際に率いた兵士たちは、携帯食として塩と味噌を携えていました。遠征後、この地に留まった兵士たちが、厳しい自然環境の中で生き抜くために自ら味噌を作り始めた――。これこそが、津軽における「自家製味噌のルーツ」だという説があるのです。

 

■「法律」が定めた、品質へのこだわり

 

江戸時代に入ると、津軽のお味噌はより確かな記録として歴史に刻まれます。

特に驚くのが、慶安年間(1648〜1652年)の「津軽藩律(はんりつ)」という、藩の法律を記した文書です。

 

その中には、お城にお味噌を納める商人に対して、「大豆一升に対して、麹六合、塩五合」で作ること!という厳格な原料配合のルールが定められていたんです。お味噌作りが「法律」でコントロールされていたなんて、いい加減なものは絶対に許さないという藩の強い意志と、並々ならぬ品質へのこだわりが伝わってきますよね。

 

また、寛文11年(1671年)には、現在の岩手県あたりで採れる「南部大豆」を使ってお味噌の商売をしたい!という「沖之口御放免願書(おきのくちごほうめんがんしょ)」という公的な申請書が出された記録もあります。350年以上も前から、お味噌は立派な「商品」として流通し、地域を支えるビジネスになっていたんです。

 

さらに面白いのが「室屋甚六(むろやじんろく)」という人物の記録。彼は各家庭から味噌造りの委託を受けて、一軒一軒を巡回して歩いたのだとか。今でいう「デリバリー味噌職人」のような存在。津軽藩も、お城の北側に専用の「味噌蔵」を構えて軍需食糧として備えるなど、お味噌はまさに国の宝として大切にされてきました。

 

■ 「3年熟成」に込められた、命を繋ぐ知恵

 

津軽味噌の特徴の一つとして「3年熟成」があります。
しかし、なぜ「3年」もの長い月日をかけて熟成させるのでしょうか? 津軽地方の寒冷な気候が可能にした、ということも一つですが、その理由は、かつて東北地方をたびたび襲った「飢饉(ききん)」という悲しい歴史と深く関わっているのではないかと言われています。

 

厳しい寒さで米や穀物が収穫できなくなった時、人々の命を繋いだのが、保存性の高いお味噌でした。たとえ食べ物が尽きても、お味噌さえあればなんとか生き延びることができる――。

 

事実、津軽藩は飢饉が発生した際、お味噌が外へ出ないよう「藩外への移出」を禁じたという記録も残っています。「長期熟成」は、単なる美味しさの追求だけでなく、いざという時に大切な領民の命を守るための、切実で心強い「備え」だったのですね。

 

■北海道の開拓民を支えた「津軽」の二文字

 

「津軽味噌」という名称が広く使われるようになったのは明治中期になってから。

 

当時、開拓まっただ中の北海道へ、お米や醤油とともに運ばれたのが津軽のお味噌でした。極寒の地で汗を流す屯田兵や開拓民たちにとって、芳醇な香りと味わい、そして色艶のよい津軽のお味噌は、何よりの活力源。彼らが「津軽のお味噌はうまい!」ともてはやしたことから、その名がブランドとして定着していきました。

 

特に「津軽三年味噌」と呼ばれるものは、長期熟成に耐える塩分を持ち、体力仕事をする人々の好みにぴったりだったのでしょうね。

 

■苦境を乗り越えて繋がれた、誇りの味わい

 

津軽味噌は、美しい赤褐色をした「辛口味噌」です。

大豆に対して麹が50%、塩分は12〜14%ほどと塩気は強いのですが、長い時間をかけてじっくり熟成されることで、角が取れて「こなれた」味わいになります。円味(まろみ)と旨味が絶妙な調和を奏でる、まさに津軽の真髄です。

 

しかし、現代まで愛され続けるその歩みは平坦ではありませんでした。「天保の凶作」では8年にも及ぶ原料不足に苦しみ、お味噌の移出が禁じられ、お味噌屋さんの経営が立ち行かなくなるほどの苦境に立たされた時代もあったそうです。それでも津軽の人々は、この伝統を決して絶やすことはありませんでした。だからこそ、今も津軽味噌は愛され続けているわけです。

 

凶作にもめげず、厳しい冬も越え、3年の月日をかけて熟成を待つ。その忍耐強さと深い愛情が、今も私たちの食卓を温めてくれる一杯のお味噌汁に繋がっているのですね。

 

***

 

いかがでしたか?

「日本の味噌のふるさと」かもしれない津軽のロマン。

みなさんも会津味噌を味わって、力強い津軽の風を感じてみませんか。

※女将へのお土産は加藤味噌醤油醸造元さんの「津軽味噌(赤)」にしました!

 なんと創業明治4年。当時から変わらない店舗兼住居兼醸造場の建物は、

 弘前市より〝趣のある建物″として登録されたそうです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 また次のお椀の旅でお会いしましょう。

 

参考図書:

味噌大全 監修渡辺敦光 東京堂出版

みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所

 

2026.04.03 [みそまろコラム]

お味噌で旅する日本列島〜北海道編〜

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

日本人の食卓に欠かせないお味噌ですが、実はその土地の気候や歴史、人々の暮らしによって、驚くほど多様な表情を持っていることをご存知でしょうか。

 

今回から始まる新シリーズでは、お椀を「乗り物」に見立てて、日本各地のお味噌を訪ねる旅に出かけたいと思います。

 

 

第1回は、北の大地・北海道です。厳しい寒さを耐え抜くために生まれた、力強くも温かいお味噌の物語を紐解いてみましょう。

■北海道の開拓と味噌

今でこそ「北海道」という名前で親しまれていますが、そう呼ばれるようになったのは明治時代から。それまでは「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれ、アイヌの方々が狩猟や漁を中心に、自然と共生しながら暮らしていました。

 

江戸時代には松前藩が置かれましたが、なんと石高(こくだか)はゼロ! 当時の経済規模は「加賀百万石」のように「米」の収穫量で表されていましたが、寒冷な蝦夷地では稲作の文化がなかったため、全国唯一の「石なし大名」と言われていたそうですよ。

 

今でこそ「食の宝庫」というイメージが強い北海道ですが、その礎を築いてくださったのが、明治時代の「屯田兵」や「開拓民」の方々でした。

■故郷の味を求めた開拓期

本州から北海道へ渡った人々にとって、日々の食事は命をつなぐための何よりの糧。当初は、お米や麦、そしてお味噌や醤油といった必需品は、すべて本州からの移入品に頼っていました。

 

当時の船のルートの関係で、主に津軽(青森)や佐渡(新潟)からのお味噌が多く運ばれていたようです。寒空の下、開拓に汗を流す人々にとって、故郷の味を感じられるお味噌汁は、疲れた身も心も癒してくれる大切な存在だったのではないでしょうか。

 

やがて開拓が進み、道内で良質な大豆やお米が収穫できるようになると、いよいよ「地元の原料で味噌を作ろう!」という動きが盛んになります。 明治35年頃には30軒ほどだった醸造所が、大正時代には70軒を超えるまでに増え、北海道独自の味噌文化が花開きました。

 

とはいえ、当時の北海道は爆発的な人口増加の真っ只中。道産のお味噌だけでは到底足りず、昭和の初め頃まで、本州から届くお味噌もあわせて大切に食されていたそうです。

■北海道味噌の特徴:濃厚な旨みのヒミツ

そんな歴史の中で育まれた北海道味噌は、ルーツである津軽や佐渡のお味噌の面影を残しつつ、独自の「らしさ」を確立していきました。

 

最大の特徴は、米も大豆も北海道の大地ですくすく育った良質なものであること。そして、赤色・淡色ともに麹(こうじ)をたっぷり使い、時間をかけてじっくり熟成させる贅沢な造りにあります。

 

この「しっかり熟成」が、厳しい寒さにも負けない力強いコクを生み出すんですね。 みなさんお馴染みの「味噌ラーメン」のスープが、あんなに濃厚で奥深い味わいなのも、実はこの北海道味噌のパワフルな旨みが基盤になっているからなんです。

 

お野菜をたっぷり入れた石狩鍋や、ホクホクのジャガイモに添えるお味噌……。

 

どれも、開拓時代からの「温まりたい」という願いがギュッと詰まった、優しい美味しさです。

 

みなさんも、北海道味噌のお味噌をお取り寄せするなどして、北の大地のロマンに思いを馳せながら「心の芯」から温まってみませんか?

 


 

※女将へのお土産は岩田醸造株式会社さんの「紅一点 紅ラベル」にしました!

 こちらの会社は、1885年に金沢から屯田兵として渡道されたことから始まったそうです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 また次のお椀の旅でお会いしましょう。

 

参考図書:

味噌大全 監修渡辺敦光 東京堂出版
みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所

2026.02.06 [みそまろコラム]

日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜美味しさの秘密と節の種類編〜 

 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

 

鰹節についてのコラムも3回目を迎えました。

 

まだお読みでない方は、【日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜歴史編〜】、【日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜作り方編〜】をお茶でもいただきながら、読んでみてくださいね。

 

さて今回は、鰹節が持っている美味しさはどこからやってくるのか、その秘密と、実は鰹以外にもたくさんある「節」の種類について、ご紹介したいと思います。

 

鰹節で引いたお出汁、好きですか?

 

まろは大大大好きです!

 

黄金色に輝く鰹出汁は、あらゆるお料理のベースとして使われていますよね。まろからすれば、ナンバーワンの相性はやはり「お味噌」ではないかと思っております。

 

この旨味成分の主役は「イノシン酸」。

カツオの身に含まれるたんぱく質が分解されて生まれる、旨味のもとです。特に、しっかりと乾燥・熟成された鰹節には、ぎゅっと凝縮されたイノシン酸がたっぷりと詰まっているんですよ。

 

「イノシン酸とグルタミン酸が合体すると旨みの相乗効果が生まれる」なんてこと、聞いたことありませんか?グルタミン酸たっぷりの代表選手と言えば、昆布やトマトです。

実は鰹節にもグルタミン酸がほんの少しだけ含まれているんです。でもその量は、昆布に比べるととっても控えめ。だからこそ、昆布と合わせて出汁を取ると、イノシン酸とグルタミン酸の“うま味の相乗効果”が生まれて、旨味がぐーんと引き立つんです!

まろ的には、鰹節と昆布の合わせ出汁にお味噌を溶いたら、それだけでごちそうです。寒い朝なんて、味見のつもりが気づけばお椀が空っぽ…なんてことも、しょっちゅうです。

 

 鰹節は“食べるサプリ”?栄養の宝庫なんです!

 

さらに鰹節は、実はたいへんな実力の持ち主で、人間の体内では合成できず、食べて摂取しなくてはならない「9種類の必須アミノ酸」が、全て、含まれているんですよ!

 

その中でも最も多いのが「ヒスチジン」。体の成長や修復に欠かせないアミノ酸で、疲労回復や集中力アップにも関わっています。特に成長期のお子さんや、日々お疲れ気味の方にはうれしい存在です。

他にも「タウリン」が含まれています。肝臓の働きを助けたり、血圧やコレステロールの調整をサポートしてくれる、頼もしい成分なんです。

そして「ジペプチド」は筋肉の疲労回復や抗酸化作用が期待されています。体の中でスムーズに吸収されやすいのもポイント!

だから、できることならお出汁を取ったあとの鰹節も、ふりかけや佃煮にして、まるごと美味しくいただくのがベスト。栄養も旨味も、最後のひと口までしっかり味わいたいですね。

 

鰹節だけじゃない!個性豊かな「節」の世界へようこそ

ところで、みなさんは「節」と聞くと、鰹節だけを思い浮かべていませんか?

実は、「節」と呼ばれるものはカツオ以外の魚からも作られているんです。これがまた、それぞれに個性があって、料理に合わせて使い分けるととっても楽しいんですよ〜。

たとえば…

 

 

まぐろ節(まぐろぶし)  

カツオよりも脂が少なく、上品でまろやかな味わい。お吸い物や繊細な料理にぴったり。高級料亭などでも使われることが多いんです。

 

鯖節(さばぶし)  

サバから作られる節で、コクが深く、ほんのり甘みも感じられます。味噌汁や煮物に使うと、ぐっと味に厚みが出て、まろも大好きな節のひとつ!

 

宗田節(そうだぶし)  

ソウダガツオという魚から作られ、鰹節よりもさらに濃厚で力強い味わい。うどんのつゆや濃いめの出汁にぴったりで、特に関西や四国ではおなじみです。

 

いわし節(いわしぶし)  

イワシから作られる節で、香りが強く、旨味もたっぷり。少しクセがあるけれど、煮物やラーメンのスープに使うと、深みが出てクセになる味わいです。

 

秋刀魚節(さんまぶし)  

サンマから作られる珍しい節。脂の旨味と香ばしさが特徴で、最近ではラーメンのスープなどにも使われています。ちょっと個性的で、でもクセになる味!

 

このように、「節」とひとことで言っても、魚の種類によって風味や使い方がまったく違うんです。まるで、魚たちがそれぞれの個性を節に託して、私たちの食卓に彩りを添えてくれているみたいですね。

 

鰹節の魅力、まだまだ語り尽くせませんが…

ぜひ毎日のくらしの中に、ちょこっと鰹節を取り入れてみてくださいね。お味噌汁に、ふりかけに、お漬物に、おひたしに。ひとふりで、いつものごはんがぐっと豊かになりますよ。

 

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2025.12.05 [みそまろコラム]

【日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜作り方編〜】 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。前回は【日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜歴史編〜】と題しまして、飛鳥時代から今に至るまで、どんな変遷を辿って「鰹節」という商品にまで上り詰めたのかをご紹介させていただきました。角屋甚太郎はん親子の知恵と工夫が、揺らぐとのなき北極星のごとく輝いておりましたね。

 

さて今回は、いわゆる「お魚」の状態からどうやって「鰹節」になっていくのか、その製造工程をご紹介したいと思いますよ。どうぞ頭で想像しながら、お読みになってみてくださいね。

 

では、想像の旅に行ってらっしゃいませ!

 

1:生切り

鰹を三枚におろしてから、それぞれ節に切り分ける作業。

3kgを超える鰹からは4本の節が取れる。

 

2:籠立て、煮熟(かごだて、しゃじゅく)

節を籠に並べ(籠立て)、籠のまま熱湯で1〜2時間じっくり煮る。

生臭さが抜け、身が締まる。

 

3:骨抜き

熱々の節を冷ましてから、節から骨・皮・うろこ・皮下脂肪、汚れなどを丁寧に取り除く。

 

4:水抜き焙乾、修繕

水分を抜きながら乾燥(焙乾)し、形を整える。→「なまり節」

 

5:間歇焙乾(かんけつばいかん)、削り

中の水分が抜けるよう、2〜3回に分け、10〜20日かけて燻す。→「荒節」「新節」

荒節を天日干しし、表面を削る→「裸節」「赤むき」

 

6:カビ付け

節を室(むろ)に置き、カビを付けて熟成を促す。

 

7:天日干し

一番カビが生えたら日光で自然乾燥させ、風味を深める。

カビ付け&天日干しを1〜2回行う→「上枯節」「荒本仕上節」

カビ付け&天日干しを3〜4回以上行う→「本枯節」

 

以上です。

 

想像の旅から、おかえりなさいませ。

 

この旅には数分かかったかと思いますが、鰹節の製造現場においては、「お魚」の状態から「本枯節」になるまでに、なんと約3か月から半年以上もかかるんです。大変なことですね。

 

また、「なまり節」「荒節」「本枯節」なと、製造工程の途中で完成する節もあることがお分かりいただけたかと思います。

 

それぞれの段階で、クオリティ高く仕上げるのは、まさに職人技といえるでしょう。まろにいたってはスーパーに並んだいくつもの「かつおぶし」すら芸術品に見えています。

 

みなさまもご覧になったことがあるかと思いますが、大きな袋に入っていたり、小分けになって使い切りタイプがあったり、中身もヒラヒラと幅広のものもあれば、粉状になっているものなど、さまざまな種類がありますよね。

 

それぞれの種類と、使い方の特徴もご紹介しましょう。

 

種類 特徴
花かつお 花びらのように薄く削った定番タイプ
ソフト削り やわらかく口当たりが良く、トッピング向き
糸削り 細く糸状に削った繊細な見た目で料理映え◎
砕片 花かつおを細かく砕いたもので、混ぜ込みに便利
削り粉 削るときに出る粉末。だしやふりかけに活躍
厚削り 厚めに削ったもの。じっくり煮出して濃いだしに
混合削り いろんな魚の節を混ぜた削り節。風味が複雑

 

ご家庭によって「ウチはいつもコレ!」というものもあるのではないでしょうか。

使い分けをすることで、お料理の味わいもぐっと変わりますよ。

 

どの種類も、職人さんが丹精して作り上げてくれた鰹節です。

感謝していただきたいと思います。

 

さて次回は、鰹以外の「節」や、栄養についてなどご紹介したいと思いますよ。

どうぞお楽しみに!

 

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2025.10.03 [みそまろコラム]

【日本の伝統!鰹節の魅力に迫る〜歴史編〜】 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。お味噌汁作りに欠かせないものといえば、やはり「味噌」かと思いますが、2番目には「お出汁」ではないでしょうか。お味噌汁にしても、お湯に味噌を溶いただけのより、お出汁に溶いたお味噌汁のほうが、旨味、香り、満足感、いずれもお月さんとすっぽんの差で軍配が上がるかと思います。

 

そのお出汁の代表格といえば「昆布・干し椎茸・鰹節」かと思いますが、実はこの3つのうちひとつは「発酵食品」ってご存じでしたか?

 

実は、鰹節の中の「本枯節」と呼ばれるものが、発酵食品なのです。

 

今回からは、その「本枯節」も含めた鰹節ワールドをみなさまにお楽しみいただこうと思います!

 

聖徳太子も食べていた?鰹節のはじまり

むかーしむかし、縄文時代から海の幸を愛していた我々日本人。当時の貝塚などからは、貝のみならず、鰹の骨も見つかっているそうです。釣ってきた鰹は保存性を高めるために塩漬けにし、乾燥させていたそうですが、その名も「堅魚(かたうお)」。「かつお」という名前の由来もここからきていそうですよね。堅魚は、飛鳥時代にも食べられていたらしいので、もしかすると聖徳太子はんも食べていたかもしれませんね。

 

その飛鳥時代から続く奈良時代にかけては、当時の木簡や『延喜式』などの文献によれば、鰹を煮てから天日干しをする「煮堅魚(にかたうお)」という加工方法があったと記されています。

 

その「煮堅魚(にかたうお)」を煙で燻すようになったのは、室町時代に入ってからと言われています。囲炉裏の上に吊るして煮炊きする熱や煙で燻して乾燥させる「焙乾(ばいかん)」あるいは「燻乾(くんかん)」と呼ばれる方法が編み出され、現在の鰹節に近いものが作られるようになったそうです。

 

鰹節を燻した男たち:角屋甚太郎親子の知恵

時はぐーんと進んで江戸時代、より本格的な鰹節が登場します。その立役者は、和歌山沖から高知沖を行き来しながら漁をしていた、和歌山県印南町の漁民、角屋甚太郎はん。

 

初夏から秋にかけて大量に獲れる鰹を保存するために、煮て乾かすだけでなく、煙で燻す「燻乾法(くんかんほう)」を開発。設備も整えて、現在の荒節に似た鰹節を作り出しました。

 

その後、息子の二代目・角屋甚太郎はんがさらに改良を加え、青カビをつけて日光乾燥を繰り返す「燻乾カビ付け法」を編み出したことで、今の鰹節に近い形が完成。これは「熊野節」として人気を博し、美食の都である京都や、天下の台所と言われた大阪の富裕層にも大層喜ばれたそうです。

 

角屋甚太郎親子が編み出したこの技術は、高知県や鹿児島県の枕崎や房総・伊豆などに広められたそうですよ。

 

毒をもって毒を制す!?土佐節の逆転劇

ところが、大問題が発生です。

高知県や鹿児島県で作られた鰹節は、大阪や江戸へ船で長期間かけて輸送されていたのですが、その間に潮風や湿気で悪性のカビが生えてしまうことがあったそうなんです。つまり、大切な商品が腐って売れなくなってしまうということ。これは由々しき事態!

 

そこで二代目はんが考えたのは「毒をもって毒を制す」方法。

 

悪いカビがつかないように、最初から良いカビを鰹節に付けてしまう「焙乾カビ付け法」という方法でした。この工夫によって、悪性のカビを防げるだけでなく風味もぐっと良くなって、「土佐節」という名前で一躍人気商品に!長期輸送でも味が落ちにくかったことから、土佐藩を代表する貿易品にもなったそうです。

 

やがてこの「土佐節」の作り方が全国に広まり、明治時代には品評会が開かれるようになって、技術もどんどん進化&磨き上げられていきました。自然にカビがつくのを待つのではなく、育てたカビの胞子を吹き付ける方法に変わったことで品質も安定するようになり、これが今の鰹節づくりの定番の方法になったそうです。

 

昔の人の知恵と工夫が、今の食卓につながっていると思うと、なんだか感慨深いですね。

 

角屋甚太郎親子の功績がなければ、今の鰹節はなかったかもしれません。

海の恵みを守るために生まれた知恵、そして問題が起こっても機転を効かせてその壁を乗り越えてくれたおかげさまで、「鰹節」が時代を越えて日本中に広がっていったわけです。

鰹節には、そんなドラマチックな歴史があったんですねえ。

 

さて次回は、この鰹節の作り方をご紹介し、ますます鰹節ファンになっていただきたいと企んでおりますよ。どうぞお楽しみに。

 

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2025.08.01 [最新情報, みそまろコラム]

日本の伝統!日本酒の魅力に迫る〜味わいと効果編〜


まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

前々回より「日本酒の魅力〜歴史編〜」「日本酒の魅力〜種類編〜」と題しまして、日本酒がいつ頃からあって、誰が作っていたのか?どんな種類があるのか?ということをシリーズでご紹介させていただきました。

 

今回は最終章としまして、日本酒の「味わいと効果」について、ご紹介させていただこうと思いますよ。

 

 

■日本酒の味の基準

日本酒、と一口で申しましても、作られている都道府県・米の種類・精米具合・仕込み水・醸造方法などによって、味わいも香りも違う酒になります。

 

この違いが少しでもわかるようにと数値化、つまり目に見えるようにしてくれているのが、【日本酒度】【酸度】【アミノ酸度】の3つで、日本酒の味わいを知るための重要な指標です。

 

簡単に申し上げますと、

 

【日本酒度】 甘辛度を表す指標で、水の比重を基準にして数値化されています。

 

【酸度】 日本酒に含まれる酸の量を示し、味わいや香りに影響します。

 

【アミノ酸度】 旨味成分であるアミノ酸の量を示し、酒のコクや深みを表します。

 

これらを見ることで、自分好みの日本酒選びに役立てることができるんです。

 

この3つの数値は、商品ラベルや裏ラベルに記載されていることもありますし、店舗で詳細を尋ねれば教えてもらえたり、公式サイトで公表されていることもありますよ。

 

この3つの中でも、最もポピュラーなのが【日本酒度】 でしょう。

 

テレビの旅番組などで、日本酒をいただいた方が、

 

「これはキリッと辛口ですね」

「米の甘味を感じます」

 

といった感想を述べているシーンをご覧になったことはありませんか?甘いか、辛いか、これが【日本酒度】なのですが、下記のようにプラスとマイナスがあります。

 

甘口 ー3.5 〜 ー5.9
やや甘口 ー1.5 〜 ー3.4
やや辛口 +1.5 〜 +3.4
辛口 +3.5 〜 +5.9
超辛口 +10

 

この数値はどのように導き出しているのかと言いますと、水と糖分の比重を計測しているのです。糖分などを多く含んだ日本酒は水よりも重いため、マイナス(甘口)になり、逆に糖分が少ない日本酒は水より軽いため、プラス(辛口)になります。

 

■温度による味わいと香りの違い

甘口と辛口があるとお分かりいただけたところで、もう1歩先に進んでみましょう。次は味や香りについてです。

 

実は日本酒は、「温度」によって味わいが驚くほど変わります!

 

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冷たい状態(冷酒)

爽やかでフルーティな香りが引き立ち、シャープでキリっとした味わいが楽しめます。特に吟醸酒や大吟醸酒は冷やすとその香りと軽やかな後味が際立ちます。

 

温めた状態(燗酒)

旨味が引き出され、まろやかで深い味わいが楽しめます。温かさによって香りが開き、リッチな風味を感じられるのが特徴です。純米酒や本醸造酒は温めることで特にその良さが際立ちます。

=======================

 

冷たいとすっきりした印象、温めるとまろやかな印象になるので、季節や気分に合わせて楽しむのが日本酒の醍醐味と言えるでしょう。

 

しかも温度によって呼び名があるんですよ。それぞれの温度と、味わいも一緒にご覧ください。

 

呼び名 温度 味わい
雪冷え 5度 冷蔵庫から出した直後。シャープな味わいで清涼感がある
花冷え 10度 徐々に香りが広がり、スッキリとした味わいに
涼冷え 15度 冷蔵庫から出してしばらくたった温度。華やかな香り
常温 20度 ほんのりした冷たさ。やわらかい香りと味わい
日向燗 30度 香りが引き立ち始め、滑らかな味わい
人肌燗 35度 ぬるいと感じる温度。香りが引き立ち、さらとした味わい
ぬる燗 40度 酒の香りが最も豊かになり、ふくらみを感じる味わい
上燗 45度 酒の香りが引き締まり、柔らかさと引き締まりを感じる味わい
熱燗 50度 酒の香りがシャープになり、切れ味のよい辛口に
飛び切り燗 55度 酒の香りが強く、辛口に

 

温度によってこんなにも味わいが変わるということに驚きです。

またこの名前が素敵!

「涼冷え(すずひえ)」や「日向燗(ひなたかん)」などは、江戸時代からの日本酒文化の中で自然に生まれたと考えられています。日本酒を楽しむ上での粋な言い回しとして、世代を超えて受け継がれてきたものなのでしょうね。こんな情緒豊かな表現があるのも、日本酒文化の魅力ですなあ。

 

■日本酒がもたらすカラダへの恩恵

 

では最後に、日本酒が私たちにもたらしてくれる恩恵について、ご紹介しましょう。

 

日本酒には、旨味成分であるアミノ酸がなんと20種類も含まれています。

そして、栄養成分においては数百を超えるとも言われています。この栄養成分は、厳密に数えると、発酵や製造過程で生まれる細かい成分も加わるため、全体的な数は正確には確定されていませんが、約700種類、と記している書籍もあることから、非常に豊かで複雑な構成であることがわかります。

 

中でも多い栄養成分の1つが「アデノシン」。

 

これはストレスで収縮した血管を広げて血流をよくしたり、血圧上昇を抑えたり、善玉コレステロールを増やしたりする働きがあるのだとか。また睡眠促進作用や育毛のサポート効果も期待されており、医療や美容分野でも注目されています。

 

また、日本酒にたっぷり含まれている「アミノ酸」は、肌の保湿効果を高めますし、米由来の「フェルラ酸」は、シミやそばかすの原因であるメラニンの生成を抑える効果もあるんです。つまりは美肌効果が期待できるということですね。

 

こんなに素敵な恩恵があるのなら、と、日本酒に手が伸びてくれると、まろはとても嬉しいです。

 

3回シリーズに渡って日本酒の魅力をお伝えしてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。日本酒の奥深さを少しでもお分かりいただければ幸いです。

 

日本酒は、日本の宝物であり、伝統文化でもあります。きっとこの先も変わらずそうあり続けてくれるでしょう。

 

この宝物を守っていくためにも、「お酒は二十歳になってから」というルールを守り、「お酒は適量を楽しむもの」ということを心にとどめ、美味しく愉しく味わってくださいね。

 

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2025.06.07 [みそまろコラム]

日本の伝統!日本酒の魅力に迫る〜種類編〜


まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。前回は「
日本酒の魅力〜歴史編〜」と題しまして、日本酒がいつ頃からあって、誰が作っていたのか?ということをご紹介させていただきました。

 

そちらの記事に続きまして今回は、日本酒の「種類」について、ご紹介させていただこうと思いますよ。

 

 

 

 

例えば、「清酒」とか「純米酒」とか「大吟醸」とか、はたまた「本醸造」とか、日本酒のラベルには様々な名称が書かれていますよね。あの違いって、みなさまご存知です?

 

「『純米大吟醸』って、なんか響きがええから、ええんちゃう?」

 

「いや、『特別本醸造』のほうが高級感ありますやろ」

 

なーんて、”語感”で選んだりしてはりませんか?

 

もちろん、直感で「これだ!」と選ぶのもまた一興ではございますが、ここはひとつ、ちょいとお勉強してみましょう♪

 

■清酒には2種類ある!

 

むかーしむかしの室町時代。それまではお酒といえば濁っているお酒でしたが、奈良県は正暦寺にて精米したお米を使って、「造り」と呼ばれる製法で澄んだお酒を作るようになりました。これが「清酒」です。そして現代にもうひとつあるのが「合成清酒」です。

 

【清酒の条件】

 条件① 米、米こうじ及び水を原料として発酵させている

 条件② 濾して澄んでいる

 条件② アルコール分が22度未満である

 

【合成清酒の条件】

 条件① アルコール、焼酎又は清酒とぶどう糖その他を原料として製造した酒類

 条件② 香味、色沢その他の性状が清酒に類似する

 条件③ アルコール分が16度未満でエキス分が5度以上等である

 

ちなみに、日本で育てられた国産米を使って、日本国内で醸造した清酒を「日本酒」と呼びます。

ということは海外のお米を使ったお酒は「日本酒」とは呼べず「清酒」となるのですねぇ。

 

■製法によって異なるお酒の名称

 

次は、日本酒のラベルに書かれた「名称」について、国が定めている基準をご紹介しましょう。

この違いを知っておくことで、今後の日本酒選びにも大きく差が生まれると思いますので、よ〜くご覧くださいね♪

 

特定名称 使用原料 精米歩合 こうじ米の使用割合 香味等の要件
吟醸酒 米、米麹、醸造アルコール 60%以下 15%以上 吟醸造り、固有の香味、色沢が良好
大吟醸酒 米、米麹、醸造アルコール 50%以下 15%以上 吟醸造り、固有の香味、色沢が良好
純米酒 米、米麹 ー 15%以上 香味、色沢が良好
純米吟醸酒 米、米麹 60%以下 15%以上 吟醸造り、固有の香味、色沢が良好
純米大吟醸酒 米、米麹 50%以下 15%以上 吟醸造り、固有の香味、色沢が良好
特別純米酒 米、米麹 60%以下または特別な製造方法(要説明表示) 15%以上 香味、色沢が特に良好
本醸造酒 米、米麹、醸造アルコール 70%以下 15%以上 香味、色沢が良好
特別本醸造酒 米、米麹、醸造アルコール 60%以下または特別な製造方法(要説明表示) 15%以上 香味、色沢が特に良好

 

いかがでしょうか。どれも似たり寄ったりに感じるかもしれませんが、わかりやすいところでいくと、「使用原料」ではないでしょうか。「醸造アルコールが添加されていないものが、純米酒である」ということから知識として蓄えていくと良いかもしれません。

 

■醸造アルコールとはなんぞや?

「アルコール添加」と前述しましたが、そうなると「え!?添加物?体に悪いの?」と不安になる方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、そういうわけではないのです。サトウキビやトウモロコシ、米などの穀物を原料に発酵・蒸留して作られる植物生まれのアルコールです。

 

適量添加することで日本酒の風味を調整したり、口当たりを軽くしたりする役割を持っています。

また清酒の香味を劣化させてしまう「火落菌」の増殖を防止の一助にもなっているんですよ。

 

「でも〜風味とか、口当たりとか、作られたまんまでいいじゃないの、醸造アルコール添加しないとだめなの?」

 

と思わはるかもしれませんが、日本酒というのは、「米・水・酵母」の働きによって作られるもので、人の手の入れ方、管理方法、その年のお天気によって味わいも異なります。発酵するということは「生きている」ということですからね。その生き物が作る味わいというのを「毎年、均一にする」というのは、それはそれは至難の業なのです!

 

しかし、醸造アルコールを使うことで、「味わいや品質を安定させる」ことができるので、消費者にとっても「そうそう、この味よね♪」「毎年この味が楽しみなんだよ」「やっぱりここの酒蔵は好みの味わいだなあ」と幸せ顔になれるわけなのです。

 

もし、生まれたままの日本酒を味わいたい、という方は「純米酒」をお選びくださいね。

 

■吟醸造りとは?

吟味して醸造すると書いて「吟醸造り」ですが、米にも精米にも酵母にも管理にもこだわりまくっている造り方なので、その酒蔵のプライドをかけた逸品といっても過言ではないでしょう。例えばこんなこだわりがあります。

 

<こだわりの吟醸作り 例>

① 精米歩合60%以下:米の外側を削り、雑味を減らしてクリアな味わいを目指す

② 低温発酵:時間をかけて発酵させ、フルーティーな香り(吟醸香)を生み出す

③ 酵母の吟味:香りを引き出すために、特定の酵母を使用

 

使用する原料にこだわるのはもちろん、温度管理や発酵具合のチェック、その調整も大変重要なので、その職人さんたちのプレッシャーたるや、想像するだけでまろは敬礼をしたくなります。いただく時には、ゆっくりと味わいたいものですね。

ちなみにスッキリした味わいが多いので、食事と合わせやすい日本酒として人気が高いお酒です。

 

いかがでしたでしょうか。

ちょっと日本酒に詳しくなっていただけたら嬉しいです。

 

ただし、「お酒は二十歳になってから」。

そして、「お酒は適量を楽しむもの」ということを心にとどめ、美味しく愉しく味わってくださいね。

 

では、次回は日本酒の味わいと効果についてご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに♪

 

参考図書:理由がわかればもっとおいしい!発酵食品を楽しむ教科書 ナツメ社

参考ホームページ:国税庁

「酒税法における酒類の分類及び定義」

https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2024/pdf/0009.pdf

「清酒の製法品質表示基準」

https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2024/pdf/0017-2.pdf

 

2025.04.04 [みそまろコラム]

日本の伝統!日本酒の魅力に迫る〜歴史編〜

 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

 

当MISO POTA KYOTOの女将は「発酵と発酵人を研究する 発酵大好き トコチャンネル 」というYouTubeチャンネルを、僭越ながら開設させていただいておりますが、ご存知でしょうか?すでに「見てるよ〜」という方、心より御礼申し上げます。まだご覧になっていない方は、ぜひご覧いただき、チャンネル登録もしていただけますと、大変嬉しく存じます。

https://www.youtube.com/@hakkolife

 

このトコチャンネルでは、発酵や糀の魅力、知られざる不思議な力について、現場にお邪魔してお勉強をさせていただいており、まろももちろん欠かさずチェックをして発酵や糀について見聞を広めさせてもろてます。

 

今まで、チーズ、鮒鮓、みりん、酢、など様々な発酵食品の現場にお邪魔しておりますが、ここ最近は「酒蔵」がメインとなっております。

 

そこで、このみそまろコラムでも「日本酒」に関する知識をお伝えしようかなと思います。今回は手始めに「歴史」からです。

 

 

 

皆さん、日本酒っていつ頃からあって、誰が作ってはったかご存知ですか?

 

むかーしむかし、奈良時代。
東大寺を建立した聖武天皇さんがいてはったり、万葉集の編さんをした大伴家持さんがいてはった時代ですが、すでにその頃からお米を原料としたお酒があったようなんです。現在の鹿児島県の東部と大隅諸島付近の地理、産物、地名の由来、伝承などを詳細に記述した書物「大隅国風土記(おおすみのくにふどき)」に、「口噛みノ酒」という記述があるそうです。

また、現在の姫路市や明石市などを含む兵庫県南西部について書き残された「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」にはコウジカビを用いた酒についての記述があるそうです。大体1,300年前には、日本酒の原型のようなものができていたんですね。

 

それからちょっとたって、時は平安時代。
源氏物語を書いた紫式部さんや、真言宗を広めた空海さん、摂関政治で隆盛を極めた藤原道長さんなどがいてはった時代になると、米・米麹・水の3つで酒を作る方法が生み出されたようで、当時の律令制や規範を詳細に定めた「延喜式(えんぎしき)」にもその記述が残されています。大きな寺院などでも、酒づくりが盛んになっていったようです。まだこの時点では白く濁ったお酒で、「御酒(ごしゅ)」や「僧坊酒(そうぼうしゅ)」などと呼ばれていましたした。

 

時は進んで室町時代。
奈良県にて、現在も歴史を刻み続ける正暦寺(しょうりゃくじ)では、精白したお米を使い、「造り」と呼ばれる製法を編み出して、澄んだお酒を作るようになりました。これが「清酒」です。
だから奈良県は「清酒発祥の地」と言われているんですね。

ちなみにですが、正暦寺では現在も11月に「酒まつり」が行われ、伝統的な方法での酒造りの実演、地元の食材を使ったグルメ屋台、酒の試飲などがあるそうで、たくさんの観光客の方が訪れるそうですよ。まろもいつか行ってみたいです!

話を戻しまして、その清酒の品質を安定させるために考え出されたのが「火入れ法」です。日本酒には「火落ち菌」という乳酸菌が入ることがあり、体に影響はないものの繁殖すると味わいがとっても酸っぱくなってしまうそうで、その菌を殺菌するために編み出したそうですよ。それに、火入れすることによって酵素の働きがストップするので、酒の味わいを安定させることにもつながる。考えはった人、天才ですね!

 

太平の世、江戸時代。
さぁここにきて爆発的に大量生産が始まります。人より大きな大樽が作られ、江戸時代中期には全国に27,000軒もの酒造所があったそうです。江戸時代のみなさん、日本酒が大好きだったんですねえ。

どんな場所でお酒が作られていたのでしょうか?
酒造所だったのは、なんと、寺院です!

現在、厳格な精進料理を守るお寺院では「不飲酒戒」というアルコールを飲まない戒律もあるくらいなのに(もちろん宗派や信仰によって異なります)、昔はお寺でお酒をガンガン作ってたなんて驚きです。

なぜお寺でお酒が作られていたか、その理由としてまず挙げられるのは、「神事で使うから」です。ふむふむ、納得です。

もうひとつ挙げられるのが、寺院は広大な土地を所有し、農業や商業活動を行っていたので、その一環として酒造りも行っていたそうなんです。大変手広くやってはったんですねえ。しかし、政治的な変動や戦乱によっては、寺院の財政が厳しくなることもあり、財源確保のために酒造りをするのはごく一般的なことだったそうです。

そんな経済的中心地の寺院でしたが、寺院がお金(権力)を持つようになると幕府にとってはやっかいです。寺院の権力を削ぐために、徳川幕府は酒造りを制限するようになります。

 

酒税が出てきた明治時代。
そして明治時代へと進むと、酒税がかけられます。お酒を作るための免許税、売上税的な醸造税、造ったら納める造石税、貯蔵するための貯蔵税など、たくさんの金を政府に払わなければならなくなったんです。瓶売りになったのもこの頃です。

「酒税かけすぎちゃう?」と思うかもしれませんが、明治政府としても国を守るためには税収が必要でしたし、お酒の品質管理のためにも良い酒造業者だけに規制せねばという考えがあったようです。優良な酒造業者を守るために、家庭でつくる「自家醸造」を禁止にもしています。きっと当時はきっと大反発もあったやろし、廃業になった酒造所さんもご苦労があったんやろなあ、と思いを馳せてしまいますねぇ…。

 

そして現代、令和。
明治初期には30,000軒あった酒造所も、酒税がかけられたことで明治末期には8,000軒にまで減り、そこからさらに淘汰されて令和の今、生き残っている酒造所は1,400軒ほど。全国各地に点在し、それぞれが独自の風味や特徴を持つ日本酒を生産してくださっております。

しかも海外にまで「SAKE」として輸出され、お店で使われたり、多くの愛飲家もいらっしゃるようです。日本人としても誇らしい気持ちにさせてもらえますね。

そもそも米・米麹・水という、自然を元手としたご商売となると、常に順風満帆とはいかないはずですし、こうして歴史をふりかえってみますと様々な荒波もありました。それでも高い志を持って現代に「酒文化と伝統」残してくれている酒蔵さんには、ほんまに頭が下がりますし、どうか頑張って続けてほしいなと心から思います。

 

女将がYouTubeでも出しておりますが、「七本鎗」を造ってはる滋賀県長浜市にある冨田酒造有限会社さんは、450年の歴史がありますし、「富翁」を造ってはる京都市伏見区の株式会社 北川本家さんも360年の歴史!どちらも江戸時代から続いているんです。ぜひ動画もご覧になってみてくださいね。まろはこれを見て、美味しいお酒を先祖代々造り続けてくださる方々には、心から敬礼したくなりました。

 

飲み過ぎには注意して、感謝の気持ちでいただきたいものですね。
では、次回は日本酒の種類についてご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに♪

 

「発酵びと研究家」トコチャンネル

■七本鎗の冨田酒造有限会社さん

「七本鎗」の仕込み現場を特別案内(前編)

 

「七本鎗」の仕込み現場を特別案内(後編)

 

■富翁の株式会社 北川本家さん

京都伏見の酒蔵「北川本家」北川社長へのインタビュー

 

39%精米の大吟醸山田錦手仕込み現場に特別潜入

2025.02.07 [みそまろコラム]

酒粕の底力!ポカポカ甘酒でほっぺをピンクに

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。以前、「こうじ甘酒をおすすめする5つの理由」というコラムでこうじ甘酒をご紹介したことがありますが、今回は同じ「甘酒」でも、「酒粕」を使った甘酒についてご紹介したいと思います。

 

※ご留意ください※

 

今回のコラムでは、アルコールが含まれる食材をオススメしております。20歳未満の方は、ごめんなさいね、大人になったらぜひチャレンジしてみてください。そして、お酒を美味しいと感じる20歳以上の方、あるいは酒粕に興味のある20歳以上の方は、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

※※※※※※※※※

 

酒粕といいますと、ご存知の通り日本酒を作る過程で生まれるいわゆる「しぼりかす」ですが、実はこちらも発酵食品だって、ご存知でしたか?

 

どういう過程で生まれるのかと言いますと、蒸したお米に「酵母」と「麹菌」を混ぜ込んで発酵させ、それを絞って生まれるのが日本酒で、残るのが酒粕です。

 

この酒粕には、発酵の過程で増えた酵母や菌、ビタミンB群やアミノ酸、お米の食物繊維もほぼ残っていますから、栄養はたっぷり含まれているんですよ。

 

では、その栄養素や成分をご紹介しましょう。

 

  • ビタミンB群(ビタミンB2、ビタミンB6など)
  • 葉酸
  • 食物繊維
  • オリゴ糖
  • アミノ酸
  • コウジ酸
  • レジスタントプロテイン
  • L-システイン
  • α-EG
  • β-グルカン
  • α-ハイドロオキシ酸

 

こ、こんなに・・・?

 

「かす」という名前がふさわしくない気がしてくるほど、豊富な栄養です!

 

では、どんな効果効能が期待できるのかもご紹介しますね。

 

<老廃物の排泄>

 

酒粕に含まれているレジスタントプロテインは消化されにくいたんぱく質。余分なコレステロールを絡め取って排泄してくれるので、コレステロール値を低くしてくれることが期待できます。また、オリゴ糖は腸内細菌のエネルギー源になってくれるので腸内環境を良くするにはもってこいです。

 

<美肌効果>

 

ビタミンB群は「美容のビタミン」とも呼ばれています。お肌の代謝をスムーズにしてターンオーバーを促進してくれたり、炎症を抑える働きもあります。

 

それにコウジ酸は、シミやそばかすの原因となるメラニンの生成を抑える働きを持つそうです。

 

まだあります!
α-EGは「アルファイージー」「アルファエッグ」などと呼ばれる成分ですが、日本酒の発酵過程で麹菌の酵素と酵母の働きによって生成されます。日本酒の旨味成分なのですが、実はこれが肌のハリや弾力アップ、荒れた肌の改善、コラーゲン産生などの効果が報告されているそうです!

 

<免疫力アップ>

 

β-グルカンは、免疫細胞を活性化し、ウイルスや細菌に対する抵抗力を高める効果、α-ハイドロオキシ酸は、ガン細胞を抑制する作用があると言われています。

 

他にも、がん細胞だけをやっつけるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)のはたらきを活性化させる物質も含まれているので、抗がん作用への効果も期待されているのだそう!

 

ーーー

 

いかがでしょうか。興味がわいてきました?

 

1日50gずつ摂ると、身体にええこといっぱいあるそうですよ。

 

というわけで、今回はこちらの材料を使って、「酒粕甘酒」を作ってみましょう!

 

 

<作り方>

 

1.小鍋に水を入れ、酒粕を小さくちぎって加える

2.火にかけ、つぶしながら溶かす

3.黒砂糖を加えたら弱火で5分ほど煮込む

※煮込み時間はお好みでOK!

 アルコールを飛ばしたり、お好みのとろみ加減になさってくださいね

 

 

名前の通り「甘いお酒」です。一口飲むと、もう一口、もう一口、と飲みたくなる不思議なおいしさで、しかも飲んだそばから身体がぽかぽか。冷えがちな足先もあったかくなってきて、いつしかほっぺもピンクに。おやすみ前にいただけば、ぐっすりお休みになれることでしょう。

 

また、甘味担当として使用した黒砂糖ですが「はちみつ」「オリゴ糖」「ラカンカ」「きび糖」など、いつもお使いのお砂糖をお使いいただけますし、

 

さっぱりあっさりいただきたいのなら酒粕を30gに減らしても美味しくいただけます。すりおろした生姜を入れると、また香りも味わいも変わって美味しいですよ。お好みで加減をしてみてくださいね。

 

まだしばらく寒さが続きますが、身体を温めてくれるこの酒粕甘酒で元気に冬を乗り越えましょう〜!

2024.12.01 [みそまろコラム]

【オトナ女子に捧ぐ、大豆発酵食のススメ】 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。皆さんの周りに「私、今コウネンキですねん」とおっしゃっている方はいらっしゃいますか?このコラムを読んでくださっている方々の中にも、「私が今それ」という方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

「女性の更年期」というのは、閉経前後に不調を感じるもので、原因の多くは「エストロゲン」という女性ホルモンが減ってしまうことなのだそうです。

 

更年期ケアに大切なのは、必要な治療をしたり、適度な運動をしたり、食べ物にも注意を払うことだそうですよ。特にエストロゲンと似た働きをする「エクオール」が含まれる、大豆を摂ることがお勧めと言われています。

 

大豆といえば「畑の肉」と言われたり、「天然のマルチサプリ」と言われたり、その実力はみなさんもよくご存知のことと思います。

 

この大豆を、できれば毎食、少なくとも1日に2回は食べると良いのだとか。

 

なぜなら、大豆イソフラボンにエストロゲンっぽい効果を発揮してもらうのなら、6〜8時間おきに摂るのが理想とのこと。血中のイソフラボン濃度が安定するそうですよ。

 

さて、大豆食品といえば、味噌、納豆、豆腐、おから、きなこ、おあげさんなど様々ありますが、まろは「大豆発酵食」を暑く、いえ、熱くおすすめしたいと思います。

 

なぜ「大豆発酵食」が良いのかといいますと、大豆イソフラボンが摂れるだけでなく、発酵しているから腸内環境を整えることにもなり、それが体調を整えることにもつながるからです。

 

だから「味噌」を使った「ミソポタ」をぜひどうぞ!

 

・・・という気持ちは八坂さんの塔よりも高くあるのですが、お味噌汁については今までたくさんご紹介してまいりましたので、今回は、同じ「豆」を「発酵」させて生まれてきた「豆乳ヨーグルト」をご紹介したいと思います!

 

豆乳ヨーグルトは、乳アレルギーの方でも、ベジタリアンの方でも安心して食べられる、100%植物性のヨーグルト。大豆イソフラボンも摂れるし、植物性乳酸菌によって、腸内環境も整います。

 

できれば毎朝、あるいは小腹が空いた時のおやつなどに召し上がっていただきたいなと思うのですが、プレーンだと物足りなさがあるという方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんな方におすすめしたいのが、

 

「オーバーナイト ”ドライフルーツ” 豆乳ヨーグルト」

 

です!

 

名前、長すぎるんちゃう?

 

ということは一旦置いておきまして、簡単に言いますと、ドライフルーツを刻んで豆乳ヨーグルトに混ぜ込み、一晩寝かせたものです。

 

もちろん、ヨーグルトにはフレッシュな果物を合わせるのも最高に美味しいのですが、ドライフルーツだと皮ごと食べることができたり、水分が抜けることで栄養素がぎゅっと濃縮されていたり、あるいは天日干しされていることで、栄養素が倍増していることもあるんですよ。

 

例えばこんなのはいかがでしょう?

 

▼オーバーナイト ”ドライマンゴー” 豆乳ヨーグルト

 

 

▼オーバーナイト ”いろいろドライフルーツ” 豆乳ヨーグルト

 

 

▼オーバーナイト”乾燥いちじく”豆乳ヨーグルト

 

どれも、ドライフルーツを60〜70gを刻んで豆乳ヨーグルトに混ぜ込み、一晩置いただけのものです。

 

豆乳ヨーグルトの水分をドライフルーツが吸収し、ドライだったフルーツたちは柔らかくなりますし、ヨーグルトも濃厚でクリーミーな口当たり。流行中の「グリークヨーグルト」に近づきます。お砂糖を入れなくても、果物の甘さが程よく、デザートにもおやつにもぴったりですよ。

 

しかも、最後にご紹介しました「乾燥いちじく」には、「植物性エストロゲン」も含まれております。あのいちじくにつぶつぶの部分に。大豆イソフラボンと同様に、女性には嬉しい栄養素が含まれているので、特にお勧めです。

 

更年期ケアに、大豆発酵食である「オーバーナイト ”ドライフルーツ” 豆乳ヨーグルト」をぜひどうぞ!

2024.10.04 [みそまろコラム]

憧れの太りにくい体に!?酢生姜の可能性

 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。以前ご紹介しました「発酵あんこ」や「玉ねぎ麹」ですが、

 

「作りたいけどやっぱりあんこは8時間がハードル」

「玉ねぎ麹の5日間て、待てない」

「もっと手軽な発酵ワザはないの?」

 

というご質問をいただきました。

 

はい!ございますよ!(キリッ)

 

まろがおすすめしたいのは「酢」です。酢は、みなさまご存知の通りもうすでに発酵が完了しております。発酵食を自分で作るのはメンドウ…という方でも、発酵の力を手軽に食卓に取り入れることができるものなんですよ。

 

【酢の健康効果】

■急激な血糖値の上昇を抑える

■高血糖や肥満の改善

■糖の代謝を促進させる

■食べ物の保存性を高める

■減塩の食事に役立つ

 

「肥満の改善」「代謝を促進」など、まろの大好きな言葉が並んでいます。

 

研究では「酢を1日大さじ1杯」を毎日摂ることで、血糖値の正常化や高血圧の改善、血中コレステロール値、中性脂肪値、内臓脂肪量の低下が認められているそうです。

 

しかし、こんな声も聞こえてきそうです。

 

「いいものとはわかっているけど、酸っぱすぎる…」

「独特の香りもチョット…」

「嫌いじゃないけど、なぜかあまり使わない…」

 

などなど、ちょっと後ろ向きな感じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

食べやすいよう甘味がついた酢や、果物の酢ももちろん良いのですが、もし、本気で「美味しい酢なら食べてみたい」ということでしたら、昔ながらの製法で作られ、他の調味料が入っていない本物を選ぶことをおすすめします。

 

ちなみに、まろが愛用している酢は、京都府宮津市にて130年に渡って伝統製法を守り抜いている、飯尾醸造様の「富士酢」です。

女将がYoutube取材にお邪魔させていただいたこともございます。

https://youtu.be/6k5C3pnij_E?si=0h2Xs7FAjPN16wWp

 

「本物の酢って、こんな味わいがあったの?」

 

と豊かな旨味に驚かれるかもしれませんよ。

 

 

しかし、

 

「よおし、酢を1日大さじ1杯!」

 

と気合とともに目標を掲げても、そのまま飲むわけにはいきませんし、ちょっと悩ましいですよね。

 

そこで、お料理に展開しやすい「酢生姜」をご紹介したいと思います!生姜の健康効果も一緒に摂れるので、体もきっと喜びますよ〜!

 

<材料>

・生姜…200〜250g

・酢…200〜250g

・ハチミツ…大さじ1

・ふたつきのガラス瓶

 

<作り方>

①ガラス瓶を熱湯消毒しておく

②生姜をみじん切りにし、耐熱容器に入れて電子レンジ600Wで2分加熱

③消毒したガラス瓶に、粗熱がとれた生姜、酢、ハチミツを入れて完成

 

 

 

発酵させるために寝かすとか、そういう待ち時間も必要ありません。もう一度申し上げますが、酢はすでに発酵してますからね、作ったそばから食べられますよ。

 

※使う時には清潔なスプーンで、酢と生姜を両方すくいましょう

※1日に3杯の摂取が目安です。一度にではなく、小分けにして摂るようにしましょう

※冷蔵庫で2週間保存できます

 

<まろのおすすめの食べ方>

・味噌汁に入れてサンラータン風に

・もずく、納豆、キムチにちょい乗せ

・焼きそば、チャーハン、カレーのトッピングに

・醤油をちょいと入れて餃子やしゅうまいのつけダレに

・ごまダレに少し混ぜて、さっぱりごまダレに

・オリーブオイルと胡椒を入れてドレッシングに

・酢の物、酢飯などに

 

他にも、魚を煮る時に少し加えれば臭み消しになりますし、鶏のさっぱり煮にもばっちり使えますよ。

 

ちなみに、作る際、レンジ加熱というひと手間が加わる理由なのですが、こうして加熱することで生姜に含まれる成分「ジンゲロール」の一部が「ショウガオール」に変わるため、両方の効果を得ることができるからなのです。

 

ジンゲロール:血管を拡張させ血流促進・胃腸の働きを助ける

ショウガオール:脂肪燃焼効果

 

生姜と酢の優れた健康効果が得られる「酢生姜」を毎日の食事に取り入れ、ご家族皆さんで「太りにくい体作り」にチャレンジしてみませんか?

2024.09.23 [最新情報]

2024.08.03 [みそまろコラム]

「玉ねぎ麹」レシピで健康食卓!

 

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。前回ご紹介しました「玉ねぎ麹」ですが、今ではすっかり我が家の定番調味料となっております。新玉ねぎで作っても、ヒネ玉ねぎで作っても、どちらもホンマに美味しいんですよ。

 

今回はその「玉ねぎ麹」を使ったお料理を、手前味噌ながらまろの家族や友人に人気のあるレシピを、3つご紹介したいと思います。

 

【ドレッシング】

<材料>

・玉ねぎ麹…大さじ2

・オリーブオイル…大さじ2

・酢…小さじ2

 

<作り方>

混ぜるだけです。

麹をすりつぶすようにして混ぜると、口当たりもようなります。

 

<応用編>

オリーブオイルをごま油に変えて中華風にするのもええですし、刻んだパセリや大葉なんかを入れても彩りヨシですよ。

 

【唐揚げの下味に】

<材料>

・鶏ムネ肉…1枚

・玉ねぎ麹…大さじ2

・片栗粉…大さじ2

・コーンスターチ…大さじ1

 

<作り方>

一口大にカットした鶏ムネ肉に玉ねぎ麹を揉み込み、冷蔵庫で一日置きます。

あとは片栗粉とコーンスターチを混ぜた粉をまぶしてカラッと揚げてください。胸肉ですが驚くほど柔らかく、しっとり仕上がっていますよ。

 

<応用編>

もちろん、鶏モモ肉でもやわらかジューシーに仕上がります。

ということは、豚の生姜焼きにやポークソテー、もちろんステーキだって、1日漬け込んでおけば柔らか〜くなって、味付け要らずです!

 

【肉料理のソースに】

<材料>

・赤ワイン…大さじ3

・玉ねぎ麹…大さじ2

・みりん…大さじ2

・酢…大さじ1

・砂糖…大さじ1

・すりおろしニンニク…小さじ半分〜1

 

<作り方>

全てフライパンに入れ、ゴムベラなどで麹の粒をすり潰しながら煮詰めるだけ。3分の2量ほどになったら、完成です。

<応用編>

シャリアピンソースの玉ねぎ麹版として作っているので、やはり肉料理にピッタリ。ローストビーフ、ハンバーグ、ステーキなどにおすすめです。「ソースとケチャップ」なんていう王道で大定番のソースもホンマに美味しいのですが、時にはこんなソースでおめかし料理にすると食卓が華やぎますよ。

ーーーーー

いかがでしたでしょうか。

特に家族から太鼓判をもらっているのが「唐揚げ」です。

唐揚げって、下味には醤油、酒、生姜、ニンニクなど家庭の黄金比率があったりすると思うのですが、この玉ねぎ麹を使えば1日漬け込むだけでもうバッチリ!旨味もお肉の柔らかさも「ほんとに玉ねぎ麹だけで??」というマジカルな美味しさにしてくれます。まさしく、「麹の底力」ですね。

麹には酵素が含まれているので、食材を柔らかくしてくれるだけでなく、食べたものの消化吸収を促してくれたり、腸内環境も整える働きをしてくれます。ありがたいことです。

健康的な食卓にしてくれる「玉ねぎ麹」。よかったら、試してみてくださいね♪

2024.07.31 [アレンジレシピ, きみ待つ花火]

【辛旨スープリゾット・きみ待つ花火】

【材料】(1人前)

  • きみ待つ花火 1袋
  • ごはん 100g (お茶碗軽めに1杯)
  • ニンニク 1/2カケ
  • オリーブオイル 適量
  • オクラなど緑の野菜 (お好みで)
  • エビ 1尾(なくてもOK)
  • 唐辛子 1かけ
  • 黒胡椒

【作り方】

  1. フライパンにオリーブオイル・みじん切りしたニンニク・唐辛子・エビを入れ、中火で香ばしく炒めます。
  2. きみ待つ花火 1袋とごはんを加え、焦げ付かないように混ぜながら加熱します。
  3. エビに火が通り、汁気がなくなったらお好みでオクラをトッピングし、黒胡椒をかけて完成✨

2024.06.02 [みそまろコラム]

【もう・・・美味しすぎてびっくり!「玉ねぎ麹」のススメ】

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。

前回ご紹介しました「発酵あんこ」に続き、またも「麹」を使ったオハナシです。

 

みなさん「玉ねぎ麹」って、ご存知ですか?

 

まろは友人に教えてもらったのですが、玉ねぎといえば「血液サラサラ効果」ですよね。身体にもええですし、麹と合体すれば旨味も掛け算になるはず。もう「美味しい」が約束されているとも言えます。ちょうど新玉ねぎの時期だったこともあって、まろも作ってみました!

 

<材料>

 

<作り方>

 

 

 

 

フードプロセッサーを使うと簡単ですが、ない場合はすりおろしましょう。
 

 

 

 
ここまでは10分もあれば簡単に仕込むことができますよ。
あとは、1日1回よく混ぜて、4日〜1週間ほど常温に置いておきましょう。

 

これだけです!

 

あ、蓋はギューと閉めずに、ゆるめにしておいたほうがええですね。

なにしろ発酵してくれてるので、呼吸をしやすいようにしてあげましょう。

 

4日後ともなると、発酵が進み、色がベージュ色になってきます。

もうこの時点でええ香りがしています。

 

さて、発酵した「玉ねぎ麹」をどうやってお料理に使うか、そこが重要ですよね。ドレッシングに、お肉の下味に、ソースに、と七変化を見せてくれるのですが、まろのおすすめ3つをご紹介いたします。

 

これをお試しいただくだけで、おそらく

 

「ということは、アレにも応用できそう!」

 

というひらめきがあるはず!

 

おっと、今回はなが〜いページになってしまいましたので、それはまた今度の機会にしましょうか。

 

ぜひ、お楽しみになさってくださいね♪

2024.05.25 [きみ待つ花火, アレンジレシピ]

2024.05.20 [アレンジレシピ, マメ豆チャン]

【そら豆&豆乳の豆タンパクたっぷりみそポタ・マメ豆チャン】

【材料】(1人前)

  • マメ豆チャン 1袋
  • そら豆 2本 くらい (お好みで)
  • 豆乳 20cc

【作り方】

  1. そら豆を洗う
  2. アルミホイルを敷いたトースター(1000w)で皮ごと20分くらい焼く
  3. 豆乳を電子レンジ600wで10秒温め、ミルクフォーマーで泡立てる
  4. 温めたマメ豆チャンを器に注ぎ、上から豆乳の泡を乗せ、そら豆をトッピングして完成

2024.05.15 [アレンジレシピ, タマチャン]

【甘いローストネギとのコラボ・タマチャン】

【材料】(1人前)

  • タマチャン 1袋
  • 白ネギ 1本 (画像は1本分ですがお好みの量で)

【作り方】

  1. 白ネギは1.5cm幅にカットし、フライパンに立てて並べ、弱火で両面軽く焼き目が付くくらいローストする
  2. 温めたタマチャンを注いで完成(画像のように、フライパンの中にタマチャンを注いで温めるのもOK)