2025.04.04 [みそまろコラム]
日本の伝統!日本酒の魅力に迫る〜歴史編〜
まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。
当MISO POTA KYOTOの女将は「発酵と発酵人を研究する 発酵大好き トコチャンネル 」というYouTubeチャンネルを、僭越ながら開設させていただいておりますが、ご存知でしょうか?すでに「見てるよ〜」という方、心より御礼申し上げます。まだご覧になっていない方は、ぜひご覧いただき、チャンネル登録もしていただけますと、大変嬉しく存じます。
https://www.youtube.com/@hakkolife
このトコチャンネルでは、発酵や糀の魅力、知られざる不思議な力について、現場にお邪魔してお勉強をさせていただいており、まろももちろん欠かさずチェックをして発酵や糀について見聞を広めさせてもろてます。
今まで、チーズ、鮒鮓、みりん、酢、など様々な発酵食品の現場にお邪魔しておりますが、ここ最近は「酒蔵」がメインとなっております。
そこで、このみそまろコラムでも「日本酒」に関する知識をお伝えしようかなと思います。今回は手始めに「歴史」からです。
皆さん、日本酒っていつ頃からあって、誰が作ってはったかご存知ですか?
むかーしむかし、奈良時代。
東大寺を建立した聖武天皇さんがいてはったり、万葉集の編さんをした大伴家持さんがいてはった時代ですが、すでにその頃からお米を原料としたお酒があったようなんです。現在の鹿児島県の東部と大隅諸島付近の地理、産物、地名の由来、伝承などを詳細に記述した書物「大隅国風土記(おおすみのくにふどき)」に、「口噛みノ酒」という記述があるそうです。
また、現在の姫路市や明石市などを含む兵庫県南西部について書き残された「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」にはコウジカビを用いた酒についての記述があるそうです。大体1,300年前には、日本酒の原型のようなものができていたんですね。
それからちょっとたって、時は平安時代。
源氏物語を書いた紫式部さんや、真言宗を広めた空海さん、摂関政治で隆盛を極めた藤原道長さんなどがいてはった時代になると、米・米麹・水の3つで酒を作る方法が生み出されたようで、当時の律令制や規範を詳細に定めた「延喜式(えんぎしき)」にもその記述が残されています。大きな寺院などでも、酒づくりが盛んになっていったようです。まだこの時点では白く濁ったお酒で、「御酒(ごしゅ)」や「僧坊酒(そうぼうしゅ)」などと呼ばれていましたした。
時は進んで室町時代。
奈良県にて、現在も歴史を刻み続ける正暦寺(しょうりゃくじ)では、精白したお米を使い、「造り」と呼ばれる製法を編み出して、澄んだお酒を作るようになりました。これが「清酒」です。
だから奈良県は「清酒発祥の地」と言われているんですね。
ちなみにですが、正暦寺では現在も11月に「酒まつり」が行われ、伝統的な方法での酒造りの実演、地元の食材を使ったグルメ屋台、酒の試飲などがあるそうで、たくさんの観光客の方が訪れるそうですよ。まろもいつか行ってみたいです!
話を戻しまして、その清酒の品質を安定させるために考え出されたのが「火入れ法」です。日本酒には「火落ち菌」という乳酸菌が入ることがあり、体に影響はないものの繁殖すると味わいがとっても酸っぱくなってしまうそうで、その菌を殺菌するために編み出したそうですよ。それに、火入れすることによって酵素の働きがストップするので、酒の味わいを安定させることにもつながる。考えはった人、天才ですね!
太平の世、江戸時代。
さぁここにきて爆発的に大量生産が始まります。人より大きな大樽が作られ、江戸時代中期には全国に27,000軒もの酒造所があったそうです。江戸時代のみなさん、日本酒が大好きだったんですねえ。
どんな場所でお酒が作られていたのでしょうか?
酒造所だったのは、なんと、寺院です!
現在、厳格な精進料理を守るお寺院では「不飲酒戒」というアルコールを飲まない戒律もあるくらいなのに(もちろん宗派や信仰によって異なります)、昔はお寺でお酒をガンガン作ってたなんて驚きです。
なぜお寺でお酒が作られていたか、その理由としてまず挙げられるのは、「神事で使うから」です。ふむふむ、納得です。
もうひとつ挙げられるのが、寺院は広大な土地を所有し、農業や商業活動を行っていたので、その一環として酒造りも行っていたそうなんです。大変手広くやってはったんですねえ。しかし、政治的な変動や戦乱によっては、寺院の財政が厳しくなることもあり、財源確保のために酒造りをするのはごく一般的なことだったそうです。
そんな経済的中心地の寺院でしたが、寺院がお金(権力)を持つようになると幕府にとってはやっかいです。寺院の権力を削ぐために、徳川幕府は酒造りを制限するようになります。
酒税が出てきた明治時代。
そして明治時代へと進むと、酒税がかけられます。お酒を作るための免許税、売上税的な醸造税、造ったら納める造石税、貯蔵するための貯蔵税など、たくさんの金を政府に払わなければならなくなったんです。瓶売りになったのもこの頃です。
「酒税かけすぎちゃう?」と思うかもしれませんが、明治政府としても国を守るためには税収が必要でしたし、お酒の品質管理のためにも良い酒造業者だけに規制せねばという考えがあったようです。優良な酒造業者を守るために、家庭でつくる「自家醸造」を禁止にもしています。きっと当時はきっと大反発もあったやろし、廃業になった酒造所さんもご苦労があったんやろなあ、と思いを馳せてしまいますねぇ…。
そして現代、令和。
明治初期には30,000軒あった酒造所も、酒税がかけられたことで明治末期には8,000軒にまで減り、そこからさらに淘汰されて令和の今、生き残っている酒造所は1,400軒ほど。全国各地に点在し、それぞれが独自の風味や特徴を持つ日本酒を生産してくださっております。
しかも海外にまで「SAKE」として輸出され、お店で使われたり、多くの愛飲家もいらっしゃるようです。日本人としても誇らしい気持ちにさせてもらえますね。
そもそも米・米麹・水という、自然を元手としたご商売となると、常に順風満帆とはいかないはずですし、こうして歴史をふりかえってみますと様々な荒波もありました。それでも高い志を持って現代に「酒文化と伝統」残してくれている酒蔵さんには、ほんまに頭が下がりますし、どうか頑張って続けてほしいなと心から思います。
女将がYouTubeでも出しておりますが、「七本鎗」を造ってはる滋賀県長浜市にある冨田酒造有限会社さんは、450年の歴史がありますし、「富翁」を造ってはる京都市伏見区の株式会社 北川本家さんも360年の歴史!どちらも江戸時代から続いているんです。ぜひ動画もご覧になってみてくださいね。まろはこれを見て、美味しいお酒を先祖代々造り続けてくださる方々には、心から敬礼したくなりました。
飲み過ぎには注意して、感謝の気持ちでいただきたいものですね。
では、次回は日本酒の種類についてご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに♪
「発酵びと研究家」トコチャンネル
■七本鎗の冨田酒造有限会社さん
「七本鎗」の仕込み現場を特別案内(前編)
「七本鎗」の仕込み現場を特別案内(後編)
■富翁の株式会社 北川本家さん
京都伏見の酒蔵「北川本家」北川社長へのインタビュー
39%精米の大吟醸山田錦手仕込み現場に特別潜入