2026.06.05 [みそまろコラム]
お味噌で旅する日本列島〜津軽編〜
まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。
「お味噌で旅する日本列島」、前回の北海道編に続き今回は津軽海峡を挟んで、青森県の「津軽」へとお連れいたします。
実は、北海道の開拓を支えたのは「津軽のお味噌」だったという深い絆があるんですよ。それでは、津軽味噌の物語を紐解いていきましょう!

■日本のお味噌のふるさと?悠久のロマン
津軽地方とお味噌の関わりは、驚くほど古くまで遡ります。
青森県つがる市にある世界的に有名な「亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)」からは、当時すでに農耕が行われていた形跡が見つかっています。「お味噌の原型のようなものが作られていたのでは?」という説もあり、ここ津軽こそが「日本の味噌のふるさと」ではないか、なんて考え方もあるほどなんです。
そもそも古代日本では、味噌は高級品で、宮中の「大膳職(だいぜんしき)」という役所で作られていた、貴族や役人のための贅沢品でした。当時は「未醤(みしょう)」という味噌の前身でして、薬として使われたり、食べ物に直接つけて食べたりしていたそうです。
津軽味噌がいつから家庭で作られ始めたのか、公的な記録こそ残っていませんが、そのルーツを物語る興味深いエピソードがあります。
奈良時代、朝廷の命を受けた坂上田村麻呂が東北遠征の際に率いた兵士たちは、携帯食として塩と味噌を携えていました。遠征後、この地に留まった兵士たちが、厳しい自然環境の中で生き抜くために自ら味噌を作り始めた――。これこそが、津軽における「自家製味噌のルーツ」だという説があるのです。
■「法律」が定めた、品質へのこだわり
江戸時代に入ると、津軽のお味噌はより確かな記録として歴史に刻まれます。
特に驚くのが、慶安年間(1648〜1652年)の「津軽藩律(はんりつ)」という、藩の法律を記した文書です。
その中には、お城にお味噌を納める商人に対して、「大豆一升に対して、麹六合、塩五合」で作ること!という厳格な原料配合のルールが定められていたんです。お味噌作りが「法律」でコントロールされていたなんて、いい加減なものは絶対に許さないという藩の強い意志と、並々ならぬ品質へのこだわりが伝わってきますよね。
また、寛文11年(1671年)には、現在の岩手県あたりで採れる「南部大豆」を使ってお味噌の商売をしたい!という「沖之口御放免願書(おきのくちごほうめんがんしょ)」という公的な申請書が出された記録もあります。350年以上も前から、お味噌は立派な「商品」として流通し、地域を支えるビジネスになっていたんです。
さらに面白いのが「室屋甚六(むろやじんろく)」という人物の記録。彼は各家庭から味噌造りの委託を受けて、一軒一軒を巡回して歩いたのだとか。今でいう「デリバリー味噌職人」のような存在。津軽藩も、お城の北側に専用の「味噌蔵」を構えて軍需食糧として備えるなど、お味噌はまさに国の宝として大切にされてきました。
■ 「3年熟成」に込められた、命を繋ぐ知恵
津軽味噌の特徴の一つとして「3年熟成」があります。
しかし、なぜ「3年」もの長い月日をかけて熟成させるのでしょうか? 津軽地方の寒冷な気候が可能にした、ということも一つですが、その理由は、かつて東北地方をたびたび襲った「飢饉(ききん)」という悲しい歴史と深く関わっているのではないかと言われています。
厳しい寒さで米や穀物が収穫できなくなった時、人々の命を繋いだのが、保存性の高いお味噌でした。たとえ食べ物が尽きても、お味噌さえあればなんとか生き延びることができる――。
事実、津軽藩は飢饉が発生した際、お味噌が外へ出ないよう「藩外への移出」を禁じたという記録も残っています。「長期熟成」は、単なる美味しさの追求だけでなく、いざという時に大切な領民の命を守るための、切実で心強い「備え」だったのですね。
■北海道の開拓民を支えた「津軽」の二文字
「津軽味噌」という名称が広く使われるようになったのは明治中期になってから。
当時、開拓まっただ中の北海道へ、お米や醤油とともに運ばれたのが津軽のお味噌でした。極寒の地で汗を流す屯田兵や開拓民たちにとって、芳醇な香りと味わい、そして色艶のよい津軽のお味噌は、何よりの活力源。彼らが「津軽のお味噌はうまい!」ともてはやしたことから、その名がブランドとして定着していきました。
特に「津軽三年味噌」と呼ばれるものは、長期熟成に耐える塩分を持ち、体力仕事をする人々の好みにぴったりだったのでしょうね。
■苦境を乗り越えて繋がれた、誇りの味わい
津軽味噌は、美しい赤褐色をした「辛口味噌」です。
大豆に対して麹が50%、塩分は12〜14%ほどと塩気は強いのですが、長い時間をかけてじっくり熟成されることで、角が取れて「こなれた」味わいになります。円味(まろみ)と旨味が絶妙な調和を奏でる、まさに津軽の真髄です。
しかし、現代まで愛され続けるその歩みは平坦ではありませんでした。「天保の凶作」では8年にも及ぶ原料不足に苦しみ、お味噌の移出が禁じられ、お味噌屋さんの経営が立ち行かなくなるほどの苦境に立たされた時代もあったそうです。それでも津軽の人々は、この伝統を決して絶やすことはありませんでした。だからこそ、今も津軽味噌は愛され続けているわけです。
凶作にもめげず、厳しい冬も越え、3年の月日をかけて熟成を待つ。その忍耐強さと深い愛情が、今も私たちの食卓を温めてくれる一杯のお味噌汁に繋がっているのですね。
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いかがでしたか?
「日本の味噌のふるさと」かもしれない津軽のロマン。
みなさんも会津味噌を味わって、力強い津軽の風を感じてみませんか。
※女将へのお土産は加藤味噌醤油醸造元さんの「津軽味噌(赤)」にしました!
なんと創業明治4年。当時から変わらない店舗兼住居兼醸造場の建物は、
弘前市より〝趣のある建物″として登録されたそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 また次のお椀の旅でお会いしましょう。
参考図書:
みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所









