2026.04.03 [みそまろコラム]
お味噌で旅する日本列島〜北海道編〜

まいどおおきに。みそまろです。ぺこり。
日本人の食卓に欠かせないお味噌ですが、実はその土地の気候や歴史、人々の暮らしによって、驚くほど多様な表情を持っていることをご存知でしょうか。
今回から始まる新シリーズでは、お椀を「乗り物」に見立てて、日本各地のお味噌を訪ねる旅に出かけたいと思います。

第1回は、北の大地・北海道です。厳しい寒さを耐え抜くために生まれた、力強くも温かいお味噌の物語を紐解いてみましょう。
■北海道の開拓と味噌
今でこそ「北海道」という名前で親しまれていますが、そう呼ばれるようになったのは明治時代から。それまでは「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれ、アイヌの方々が狩猟や漁を中心に、自然と共生しながら暮らしていました。
江戸時代には松前藩が置かれましたが、なんと石高(こくだか)はゼロ! 当時の経済規模は「加賀百万石」のように「米」の収穫量で表されていましたが、寒冷な蝦夷地では稲作の文化がなかったため、全国唯一の「石なし大名」と言われていたそうですよ。
今でこそ「食の宝庫」というイメージが強い北海道ですが、その礎を築いてくださったのが、明治時代の「屯田兵」や「開拓民」の方々でした。
■故郷の味を求めた開拓期
本州から北海道へ渡った人々にとって、日々の食事は命をつなぐための何よりの糧。当初は、お米や麦、そしてお味噌や醤油といった必需品は、すべて本州からの移入品に頼っていました。
当時の船のルートの関係で、主に津軽(青森)や佐渡(新潟)からのお味噌が多く運ばれていたようです。寒空の下、開拓に汗を流す人々にとって、故郷の味を感じられるお味噌汁は、疲れた身も心も癒してくれる大切な存在だったのではないでしょうか。
やがて開拓が進み、道内で良質な大豆やお米が収穫できるようになると、いよいよ「地元の原料で味噌を作ろう!」という動きが盛んになります。 明治35年頃には30軒ほどだった醸造所が、大正時代には70軒を超えるまでに増え、北海道独自の味噌文化が花開きました。
とはいえ、当時の北海道は爆発的な人口増加の真っ只中。道産のお味噌だけでは到底足りず、昭和の初め頃まで、本州から届くお味噌もあわせて大切に食されていたそうです。
■北海道味噌の特徴:濃厚な旨みのヒミツ
そんな歴史の中で育まれた北海道味噌は、ルーツである津軽や佐渡のお味噌の面影を残しつつ、独自の「らしさ」を確立していきました。
最大の特徴は、米も大豆も北海道の大地ですくすく育った良質なものであること。そして、赤色・淡色ともに麹(こうじ)をたっぷり使い、時間をかけてじっくり熟成させる贅沢な造りにあります。
この「しっかり熟成」が、厳しい寒さにも負けない力強いコクを生み出すんですね。 みなさんお馴染みの「味噌ラーメン」のスープが、あんなに濃厚で奥深い味わいなのも、実はこの北海道味噌のパワフルな旨みが基盤になっているからなんです。
お野菜をたっぷり入れた石狩鍋や、ホクホクのジャガイモに添えるお味噌……。
どれも、開拓時代からの「温まりたい」という願いがギュッと詰まった、優しい美味しさです。
みなさんも、北海道味噌のお味噌をお取り寄せするなどして、北の大地のロマンに思いを馳せながら「心の芯」から温まってみませんか?
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※女将へのお土産は岩田醸造株式会社さんの「紅一点 紅ラベル」にしました!
こちらの会社は、1885年に金沢から屯田兵として渡道されたことから始まったそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 また次のお椀の旅でお会いしましょう。
参考図書:
味噌大全 監修渡辺敦光 東京堂出版
みそ文化誌 全国味噌工業共同組合連合会 社団法人 中央味噌研究所









