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2018.08.10 みそまろコラム

●原爆被害を受けたある長崎の病院のお話

みそまろ

8月9日は長崎県に原子爆弾が投下された日でしたね。。。
まろもこちら京都から長崎県に向かい、黙とうをさせていただきました。
もう70年以上も前の出来事ではありますが、未だ苦しみを背負い続ける方もおられるかと思います。

戦争を知らないまろですが、今こうして幸せに暮らしていられるのは、先人たちの努力なくしてはありえないことはわかります。
おかげさま、という気持ちで、日々を大切に生きたいものですね。

先日、お味噌の本を読んでいたら、長崎の原爆のお話がありました。

味噌と原爆??

どんな繋がりがあるのかと読み進めてみると、驚きましたね~。
原爆被害を受けたのに、お味噌汁を食べていたから原爆症を発症せず、健康に生きることができたらしい、というお話なんです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
長崎県の浦上第一病院(元 聖フランシスコ病院)は結核療養所で、原爆の爆心地からたった1.4キロメートルのところにありました。

ここに従事していた秋月辰一郎医師は、若い頃に結核を患いましたが食事療法で健康を取り戻した経験から、この病院でも玄米、ワカメの味噌汁、野菜食を中心とした食事療法によって患者さんのお世話をしていました。

1945年8月9日、長崎県に原爆が落とされました。
レンガ作りの病院の中にいたおかげで助かった秋月医師たちでしたが、相当量の放射線を浴びたことが想像されます。

被爆直後、秋月医師は、薬の調達もままならないため患者の健康を守るには「玄米と味噌に頼るほかはない」と決意。

被爆して最初に秋月医師たちがとった食事は、梅干し入りのおにぎりと、かぼちゃの味噌汁でした
(かぼちゃは、外の畑でまる焦げになっていたので、焦げていたところを除いて使ったそう)。

それから復興が進みましたが、その後何年も原爆症を発症した職員はおらず、がんで亡くなった方もおられなかったそうです。

秋月辰一郎医師は、著書『体質と食物 健康への道』にこう記しています。

「患者の救助、付近の人々の治療にあたった職員に、いわゆる原爆症が出ない原因のひとつは、ワカメの味噌汁であったと私は確信している。
放射能の害を、ワカメの味噌汁がどうして防ぐのか、そんな力が味噌汁にどうしてあるのか。
私は科学的にその力があると信じている」

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

広島大学の名誉教授 渡邊敦光教授の実験で、放射線で障害を受けたマウスの小腸の細胞が、みそで再生する、という結果が出たのが1991年。

そこから研究は続けられ今では、
「放射線を浴びる数日前から味噌を食べているとよい」
「みそを食べていると細胞の生まれ変わりが早い」
といった実験結果が出されているそうです。

大好きなお味噌に、そんな力があるかもしれないなんて!
これからなおさら食べようと思います!

みなさんも、ご一緒にいかがですか?^^

最後まで読んでくれはって、おおきに。

※参考資料 毎日の味噌汁で強いからだをつくる 味噌力 渡邊敦光著 かんき出版

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200g 550円(税別)

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ほっこり幸せ味です